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2015/03/14

高校卒業式を行いました!

少しずつ春の訪れが感じられるようになってまいりました。
3月14日(土)、高校卒業式を行いました。
今年度は193名の生徒たちが佼成学園を巣立っていきました。
今年度の卒業生193名中41名が3ヶ年皆勤でした。

約5人に1人が3年間無遅刻無欠席という素晴らしい結果でした。

これは生徒自身が自分を律し、学校に毎日笑顔で登校してきてくれた賜物です。
生徒ならびに保護者の皆様、本日はご卒業誠におめでとうございます。
卒業の言葉では、卒業生代表の影山 勉君が立派な卒業の言葉を発してくれました。
その全文を写真の後に掲載しています。

卒業の言葉


厳しい冬の寒さも和らぎ、柔らかな春の日差しが降り注ぐ今日、私たち193名は佼成学園高等学校を卒業します。本日は私たちのために、このような式を挙げていただき、本当にありがとうございます。

2012年4月、私たちは荘厳な普門館の大ホールに集いました。ともに歩んできた中学からの仲間に加え、高校受験を終えたばかりのE・F組、遠目に見ても明らかに体格の良いG組の生徒たちとともに、この佼成学園に入学した日の晴れやかな思いを忘れることはできません。驚くほどの速さで過ぎていった3年間でしたが、振り返れば、様々な思い出が心の中に鮮明に蘇ります。

高校1年の春、初めての球技大会では、学年に少し異様な空気が流れていました。それは、中学入学生と高校入学生の心理的な「壁」です。球技大会も終盤になり、始まったバスケットボールの決勝戦、対戦チームは中学入学生のB組対高校入学生のG組でした。高校入学生のE・F・G組は団結してG組を、その他の中学入学生はB組をというように、お互いの応援が白熱し、なかには喧嘩腰になる生徒も出るほどでした。試合はG組の勝利で終わり、仲良く握手をして写真撮影なども行いましたが、まだまだこの頃までは学年が二つに割れているように見えました。

そうした危うい雰囲気を一変してくれたのが、夏の野球部の活躍でした。その年の西東京大会で、野球部は38年ぶりに決勝進出を決め、全校挙げての応援が展開されました。あの熱い太陽のような熱戦のことを覚えていない人はいないでしょう。この時は残念ながら甲子園進出こそならなかったものの、この野球の試合を通じて学年、学校が一体となることができ、私はスポーツの持つ大きな意味を改めて学ぶことができました。

2年生になり、クラス替えによって中学入学生も高校入学生も同じ教室で学ぶようになると、私たちの学年には、ますます一体感が感じられるようになりました。2年生の頃のもっとも懐かしい思い出は、何と言っても「沖縄修学旅行」です。沖縄には、いまだに深く戦争の傷跡が残っています。私たちは、元ひめゆり学徒隊の語り部である津波古ヒサさんのお話を聞くことができましたが、その時に語られたことは決して忘れてはならない、また、私たちが後に続く世代に語り伝えていかなければならない戦争の真実でした。こうしている中でも、世界各地では戦火が絶えることなく続いています。私たちはこの旅行で、戦争のない新しい未来を築いていこうという誓いを新たにすることができました。また、沖縄の美しい自然の中で過ごした楽しい時間は、決して忘れられない思い出となりました。あまりに楽しすぎて、就寝時間が来ても眠れるわけもなく、一晩中、語り明かしてしまい、翌日のバスの中でぐっすり眠ってしまったことも、今となっては良い思い出です。
2年生の頃の、もう一つの大きなイベントが「文化祭」でした。私たちは中学時代から、合唱や映画製作など、文化祭で新しい規格に挑戦してきた学年でしたが、文化祭の主人公ともいえる高校2年生で迎えた「渦潮祭」では燃えに燃えました。生徒会役員や文化祭実行委員は夏休みの間に何日も登校し、ペンキにまみれながら文化祭準備を進めてきました。大人の手を借りずに自分たちの力で入場門を作ったのも、ステージを校庭に移動して新しいイベントを行ったのも、私たちの代が初めてです。「楽しむには大きな仕事を引き受けなければならない。そもそも、汗をかかなければ楽しくない」ということを文化祭をはじめとする様々な行事から学びました。後輩の皆さんには、是非新しいことに挑戦することを恐れずに、始まった伝統をより良い形で発展させていく勇気を持ち続けてほしいと思います。

3年生になり、みんなが受験へとスイッチを切り替えていく中、私は部活動で高校最後の大会を迎えていました。それまで、私の所属するアメリカンフットボールは四大会連続で予選落ちという残念な結果に終わっていました。「今季こそは」の一年でチーム全員が戦っているときに、級友をはじめとするたくさんの方々が自分たちのことを応援して下さっていることに気づきました。文化祭を抜け出して応援に駆け付けてくれたり、受験勉強で忙しいにもかかわらず、サイドラインにはいつもたくさんの同級生の姿がありました。悲願であった全国大会出場を決めた瞬間の、あの大きな歓声を、私は一生忘れることはありません。結果的に全国制覇はできませんでしたが、全国ベスト4という成績はそうした仲間たちの応援があったからこそのものだと、つくづく実感します。
そして、突入した大学受験の関門、私たちの大学受験はそれこそ、スポーツのようでした。「自習室」という道場に通い、個々の学力を鍛えながら、お互いの背中を見ることで競い合い、励まし合ってきました。その結果得られた合格の一つ一つには、スタンドからの見たホームランやタッチダウンの数々に対して送られた、仲間たちの大きな声援が聞こえてくるようでした。勝敗は時の運。スポーツも受験も、もし今回敗れたとしても、そのために流した努力の汗や悔しさの涙はきっと、今後の私たちの大きな糧となってくれることを信じています。私たちの、佼成学園での高校生活が、このように素晴らしいものとなったのは、数限りない方々のご協力があったからこそです。中でも教職員の皆様やチューターの先輩方、また他の誰にもまして、保護者の皆様に感謝しなければなりません。先生方やチューターの先輩方は学業だけではなく、これからの進路や日々の悩みなどにおいても、様々な指導や助言をしてくださいました。母は、私が体を大きくするために朝早くから大きな弁当を毎日作ってくれました。父は、経済面だけではなく、進路の相談や生活習慣の見直しなど、多くの場面で力強い支えとなってくれました。言葉で言い表せないほどの感謝の気持ちでいっぱいです。この場を借りてお礼を言わせてください。本当にありがとうございます。

在校生のみなさん、「行学二道」という校訓の意味を真剣に考えたことがあるでしょうか。私は「行い」と「学び」の「二つの道」を通じて人格を涵養することだと考えます。是非、この校訓を実践してください。入学したことは小さく、か弱かった私たちも今、こうしてここまで大きく、強く成長することができました。それは、この学校が最高の仲間、先生と巡り合える場所だったからです。私は、仲間を誇りに思います。自分の母校が、他のどの学校でもなく、この佼成学園で良かったと胸張って言えます。みなさんもぜひ、そう思えるように何事にも全力でぶつかっていってください。
私たち卒業生は今日、その愛する母校を卒業します。お互いが離れ離れとなるのはさびしいことですが、これからは、自分の進むべき道を全力で進んでいきたいと思います。これまでに私たちを支えてくださったすべての皆様に感謝をして、卒業の言葉とさせていただきます。最高の高校生活でした。本当にありがとうございました。

平成27年 3月14日 佼成学園高等学校卒業生代表 影山 勉